朝ドラ『マッサン』のモデルは誰?竹鶴政孝とリタの実話・史実との違いを徹底解説
NHK連続テレビ小説『マッサン』のモデルは、ニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝と、スコットランド出身の妻・リタです。主人公の亀山政春を玉山鉄二、妻のエリーをシャーロット・ケイト・フォックスが演じ、日本で本格的なウイスキー造りに挑んだ夫婦の人生が描かれました。
2014年9月29日から2015年3月28日まで放送された本作は、実在の人物を題材にしながらも、登場人物の名前や企業名、物語の展開には創作が加えられています。竹鶴政孝のスコットランド留学、リタとの国際結婚、摂津酒造での経験、サントリーとの関係、そしてニッカウヰスキー創業までをたどると、ドラマと史実の違いが見えてきます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- モデルの正体:亀山政春のモデルは竹鶴政孝、エリーのモデルは妻の竹鶴リタです。
- 夫婦の実話:政孝は1918年にスコットランドへ留学し、リタと出会って結婚。帰国後、日本のウイスキー産業の発展に生涯を捧げました。
- ドラマと史実の違い:『マッサン』は原作小説の実写化ではなく、実在の人物や出来事を参考にしたオリジナル脚本のドラマです。
【モデルは誰?】亀山政春とエリーの実在モデルを解説
『マッサン』の主人公とヒロインには、それぞれ実在するモデルがいます。ニッカウヰスキーの公式企業史でも、竹鶴政孝とリタの歩みは同社の創業を語るうえで欠かせない歴史として紹介されています。
亀山政春のモデルは竹鶴政孝、エリーのモデルは竹鶴リタです。ただし、ドラマの登場人物は実在人物の名前をそのまま使用したものではありません。史実を土台にしながら、テレビドラマとして物語が再構成されています。
| ドラマの人物・設定 | 実在のモデル・史実 | 関係性 |
|---|---|---|
| 亀山政春 | 竹鶴政孝 | ニッカウヰスキー創業者。日本の本格的なウイスキー造りに尽力した技術者 |
| 亀山エリー | 竹鶴リタ | スコットランド出身の政孝の妻。日本で夫の夢を支えた |
| 鴨居欣次郎 | 鳥井信治郎が主要なモデル | 寿屋を創業し、政孝を迎えて山崎蒸溜所の建設を進めた実業家 |
| 住吉酒造 | 摂津酒造が主なモデル | 政孝が洋酒製造の経験を積み、スコットランド留学へつながった会社 |
| 鴨居商店 | 寿屋が主なモデル | 現在のサントリーにつながる企業をもとにした劇中の会社 |
竹鶴政孝は1894年、広島県竹原で造り酒屋を営む家に生まれました。酒造りが身近にある環境で育ち、大阪高等工業学校の醸造科で学んだ後、洋酒製造の技術を身につける道へ進みます。
一方、リタは1896年生まれのスコットランド人女性です。結婚前の名前はジェシー・ロベールタ・カウンで、「リタ」は愛称として知られています。ニッカウヰスキーの公式紹介では、夫とともに日本へ渡り、慣れない文化や生活環境のなかで約40年間を過ごした人生が伝えられています。
なお、「マッサン」は竹鶴政孝本人の名前ではなく、ドラマのタイトルにも使われた呼び名です。作品ではエリーが政春を親しみを込めて「マッサン」と呼び、夫婦の関係を印象づけています。

【竹鶴政孝の生涯】スコットランド留学からニッカ創業までの年表
竹鶴政孝の人生を理解するうえで重要なのは、留学、帰国後の挫折、寿屋でのウイスキー造り、そして独立という流れです。ドラマでは夫婦の感情や家庭の問題が大きく描かれますが、実際の政孝の生涯には、技術者としての経験と企業経営上の判断が深く関わっていました。
ニッカウヰスキーの公式社史や大阪大学に関する資料などをたどると、主な節目は次のように整理できます。
| 年 | 竹鶴政孝とリタの歩み | 歴史的な意味 |
|---|---|---|
| 1894年 | 竹鶴政孝が広島県竹原に生まれる | 造り酒屋の家に生まれ、酒造りに親しむ |
| 1916年 | 大阪高等工業学校の醸造科を卒業し、摂津酒造に入社 | 洋酒製造の技術者として経験を積み始める |
| 1918年 | 会社の命を受けてスコットランドへ留学 | 本格的なウイスキー製造技術を学ぶ |
| 1920年 | リタとともに日本へ帰国 | 帰国後、摂津酒造のウイスキー計画が実現せず、転機を迎える |
| 1923年 | 寿屋に入社 | 鳥井信治郎と協力し、日本の本格的なウイスキー造りに取り組む |
| 1924年 | 山崎蒸溜所が完成 | 日本の本格的なモルトウイスキー製造の基盤が築かれる |
| 1929年 | 寿屋から本格ウイスキーが発売される | 「サントリーウイスキー白札」が登場 |
| 1934年 | 北海道余市に大日本果汁株式会社を設立 | ニッカウヰスキーの前身となる会社を創業 |
| 1940年 | ニッカウヰスキーを発売 | 自社のウイスキー事業が商品として結実する |
| 1961年・1979年 | リタが1961年に、政孝が1979年に死去 | 夫婦の生涯と、創業者が歩んだ時代を振り返る節目 |
政孝のスコットランド留学は、単なる海外研修ではありませんでした。当時の日本では、ウイスキーの製造技術を体系的に身につける機会が限られており、原料の扱いから蒸溜設備、熟成に至るまで、本場の知識を学ぶことが大きな課題でした。
留学中に学んだ知識や現場経験は、帰国後の仕事の土台となります。しかし、摂津酒造に戻った時期は経済状況が厳しく、同社の本格的なウイスキー製造計画は実現しませんでした。技術を持ち帰ればすぐに事業化できるわけではなかったのです。
その後、政孝は鳥井信治郎が率いる寿屋に入り、山崎蒸溜所の建設とウイスキー製造に携わります。1929年の白札発売は、留学で学んだ技術が日本の市場で形になった重要な出来事でした。
さらに1934年、政孝は北海道余市で大日本果汁株式会社を設立します。ウイスキーは蒸溜後すぐに完成する商品ではなく、熟成に時間を要します。そのため創業当初はリンゴジュースなどの製造にも取り組み、事業を支えながらウイスキー造りを進めました。自社のウイスキーが発売されるのは1940年です。
この経緯から分かるのは、政孝が単に「海外で製法を学んだ人」ではなかったということです。技術を身につけ、製造設備を整え、資金や市場の制約を乗り越え、長い熟成期間を必要とする事業を経営として成立させた人物でした。
【リタの本名と馴れ初め】異国で出会った夫婦の実話
『マッサン』のもう一つの大きな軸が、政孝とリタの国際結婚です。ドラマではエリーが日本で暮らすなかで文化の違いや周囲の反対に直面しますが、実際のリタも、故郷を離れて日本で人生を築くという大きな決断をしました。
リタの結婚前の名前はジェシー・ロベールタ・カウンです。ニッカウヰスキーの創業者紹介や北海道立図書館のレファレンス資料では、スコットランド出身で、「リタ」は愛称として記録されています。結婚後は竹鶴リタとして知られるようになりました。
出会いのきっかけはスコットランド留学
政孝がリタと出会ったのは、ウイスキー製造を学ぶために滞在していたスコットランドです。政孝は留学先でリタの家族と交流を持つようになり、柔道を通じた縁などをきっかけに、彼女との関係を深めていきました。
異国での生活は、技術を習得しなければならないという重圧に加え、言葉や生活習慣の違いもあり、容易なものではありませんでした。そうした時期に築かれた二人の関係は、やがて結婚へと発展します。
二人は1920年に結婚し、政孝の帰国に伴って日本へ渡りました。リタにとっては、生まれ育ったスコットランドを離れ、言葉も習慣も異なる日本で暮らす選択でした。家族や故郷とのつながりを保ちながら、夫の夢を支えるために新しい生活を始めたのです。
リタは単なる「創業者の妻」ではなかった
ニッカウヰスキーの公式紹介によると、リタは日本語を覚え、漬物や塩辛を作るなど、日本での生活に適応していきました。夫の仕事を支えるだけでなく、自分自身も異文化のなかで暮らしを築いていったことが分かります。
ここで押さえたいのは、リタの人生を「外国人の妻が夫の成功を陰で支えた」という一言で片づけないことです。彼女は、故郷を離れるという選択を自ら行い、日本で長い年月を生きた人物でした。ドラマのエリーが直面する孤独や葛藤は、こうした実際の人生を背景にしています。
リタは1961年に64歳で亡くなりました。政孝は翌1962年に、妻への思いを込めた商品として知られる「スーパーニッカ」を発売しています。そして政孝自身も1979年、85歳で生涯を終えました。
二人の人生を振り返ると、夫婦の絆は単なる恋愛物語にとどまりません。政孝が目指したウイスキー造りと、リタが選んだ日本での暮らしは、互いの人生を大きく変える選択だったのです。

【摂津酒造・サントリー・ニッカ】3つの企業の関係を整理
『マッサン』の史実を理解するうえで混同しやすいのが、摂津酒造、寿屋、そしてニッカウヰスキーの関係です。劇中では企業名が変更されているため、登場人物の転職や独立が、実際の企業史と結びつきにくい面があります。
摂津酒造は政孝の出発点
摂津酒造は、政孝が洋酒製造の技術者として経験を積んだ会社です。同社での仕事が認められたことで、1918年のスコットランド留学につながりました。
ところが、政孝が帰国した1920年には経済環境が厳しく、本格的なウイスキー製造計画を実行できる状況ではありませんでした。海外で技術を習得したにもかかわらず、すぐに夢を実現できなかったことが、その後の進路を左右します。
サントリーの前身・寿屋で山崎蒸溜所を建設
1923年、政孝は鳥井信治郎が創業した寿屋に入社します。寿屋は現在のサントリーホールディングスにつながる企業です。政孝は鳥井と協力して山崎蒸溜所の建設に取り組み、1924年の蒸溜所完成、1929年の本格ウイスキー発売へとつなげました。
この時期の政孝は、のちにニッカウヰスキーを創業する人物であると同時に、サントリーにつながる事業の立ち上げにも関わった技術者でした。日本のウイスキー史を一つの会社だけで説明できないのは、この経歴があるためです。
ニッカウヰスキーの創業は1934年
政孝は1934年、北海道余市に大日本果汁株式会社を設立します。これがニッカウヰスキーの前身です。1952年には社名がニッカウヰスキー株式会社へ変更されました。
サントリーとニッカは、現在では別々の企業として知られていますが、その歴史をさかのぼると政孝の仕事を通じて接点があります。政孝は寿屋で本格的な製造事業に携わった後、独立して自らの会社を立ち上げました。
ただし、この経緯を単純な「サントリーとニッカの対立物語」として捉えるのは正確ではありません。政孝が寿屋で働いたことも、独立してニッカを創業したことも、それぞれ日本のウイスキー産業が形づくられていく過程の一部です。
また、ニッカの創業年とウイスキーの発売年は区別する必要があります。会社の設立は1934年ですが、ウイスキーの発売は1940年です。創業した年にすぐ主力商品が完成したわけではなく、熟成を待つ期間や経営を支える事業が必要でした。
【ドラマと史実の違い】『マッサン』はどこまで実話なのか
『マッサン』は実在の人物をモデルにしていますが、ドキュメンタリーではありません。放送ライブラリーの番組記録によると、NHK連続テレビ小説第91作として、脚本・羽原大介、主演・玉山鉄二、シャーロット・ケイト・フォックスで制作されました。全150回の物語は、史実を参考にしながらドラマとして再構成されています。
実話に基づく主要な出来事
政孝がスコットランドへ留学したこと、リタと結婚して日本へ渡ったこと、寿屋でウイスキー造りに取り組んだこと、そして北海道余市で独立したことは、実際の人生に基づく重要な要素です。
これらは作品の骨格となる部分です。ウイスキー造りに時間がかかることや、事業化の難しさ、外国出身の妻が日本で生活する苦労といったテーマにも、実際の歴史的背景があります。
名前や企業名、周辺人物は脚色されている
一方、ドラマでは実在人物の名前が変更されています。竹鶴政孝は亀山政春、竹鶴リタはエリーとして描かれ、鳥井信治郎を主要なモデルとする人物は鴨居欣次郎という名前になっています。企業名も、摂津酒造に対応する住吉酒造、寿屋に対応する鴨居商店など、実際とは異なる設定です。
こうした変更は、実在人物をそのまま再現するのではなく、物語として人物同士の関係や葛藤を描きやすくするためのものです。劇中の台詞や細かな出来事、人物の行動をすべて史実として受け取ることはできません。
夫婦の葛藤や会社での対立はどう見るべきか
ドラマでは、政春とエリーが家族からの反対や生活苦、仕事上の衝突に直面します。視聴者が感情移入しやすいように、出来事の順序や人物の反応が整理され、対立が印象的に描かれる場面もあります。
実際の政孝にも、帰国後に製造計画が実現しなかった時期や、独立後にウイスキーの完成を待たなければならない困難がありました。ただし、ドラマの個々の場面を、そのまま実在人物の言動や企業間の確執として扱うのは適切ではありません。
史実を知りたい場合は、人物の生没年や会社の設立・発売年など、記録で確認できる事実と、脚本によって構成された場面を分けて考えることが大切です。そうすることで、作品の魅力を損なわずに歴史的な背景も理解できます。

【プロの結論】原作・元ネタと『マッサン』の実話の真相
『マッサン』には、原作小説をそのまま映像化したという意味での原作はありません。羽原大介によるオリジナル脚本で、竹鶴政孝とリタの人生、日本のウイスキー産業の歴史を参考にして物語が構成されました。放送後に刊行されたノベライズなどがあっても、それらはドラマの元になった原作小説とは区別されます。
では、この作品を史実と照らし合わせて読むとき、何に注目すればよいのでしょうか。重要なのは、夫婦の物語だけでなく、技術、企業経営、異文化での生活という三つの視点です。
1.ウイスキー造りは「技術を学べば完成する」仕事ではない
政孝はスコットランドで学んだ技術を持ち帰りましたが、摂津酒造では計画を実現できず、寿屋への入社を経て独立しています。ウイスキーの発売までには設備投資、原料の確保、熟成期間、販売までを見通す経営判断が必要でした。
この点に注目すると、ドラマで描かれる苦労は、単なる主人公の夢と現実の衝突ではなく、製造業が技術を事業へ変える難しさを表していることが分かります。
2.リタの人生は国際結婚の美談だけでは説明できない
リタはスコットランドで生まれ育ち、日本へ渡った後は異なる言語や習慣のなかで暮らしました。夫の夢を支えた人物であると同時に、自分の故郷を離れ、日本で生涯の多くを過ごす決断をした一人の女性でもあります。
エリーの物語を理解する際は、政春との恋愛だけでなく、異文化への適応や、暮らしの基盤を築いていく過程にも目を向けると、作品の奥行きが増します。
3.サントリーとニッカの歴史は連続している
政孝は寿屋でウイスキー製造に携わった後、独立してニッカウヰスキーの前身を設立しました。この経歴は、日本のウイスキー産業が一人の技術者と一社だけで発展したわけではないことを示しています。
『マッサン』をきっかけに企業の歴史まで調べるなら、摂津酒造での修業、寿屋での山崎蒸溜所建設、余市での独立という順序を押さえると、各社の関係を誤解しにくくなります。
また、史実を知りたい読者にとっては、ニッカウヰスキーの公式創業者紹介・社史、放送ライブラリーの番組記録、国立国会図書館のレファレンス協同データベースなどを手がかりにすると、人物情報とドラマの設定を照らし合わせやすくなります。
『マッサン』は、史実を一字一句再現する作品ではありません。しかし、政孝が本格的なウイスキー造りに挑んだ経緯や、リタが日本で築いた人生を知る入口としては、歴史への関心を深めてくれる作品です。
【朝ドラマッサンのモデル】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:朝ドラ『マッサン』のモデルは誰ですか?
A1:主人公・亀山政春のモデルはニッカウヰスキー創業者の竹鶴政孝、ヒロイン・エリーのモデルは妻の竹鶴リタです。政孝は日本の本格的なウイスキー造りに尽力し、リタはスコットランドから日本へ渡って夫とともに人生を歩みました。
Q2:リタの本名は何ですか?
A2:結婚前の名前はジェシー・ロベールタ・カウンです。「リタ」は愛称として知られ、結婚後は竹鶴リタと呼ばれました。1896年に生まれ、1961年に64歳で亡くなっています。
Q3:『マッサン』は実話ですか? 原作はありますか?
A3:実在の竹鶴政孝とリタの人生をモデルにしていますが、すべてが史実どおりではありません。羽原大介によるオリジナル脚本で、人物名や企業名、出来事の描き方には創作や脚色が含まれています。
まとめ:『マッサン』を史実から読み解くための判断基準
朝ドラ『マッサン』のモデルは、ニッカウヰスキー創業者の竹鶴政孝と、その妻でスコットランド出身の竹鶴リタです。政孝は1918年にスコットランドへ留学し、帰国後は摂津酒造、寿屋で経験を積み、1934年に北海道余市で大日本果汁株式会社を設立しました。ニッカウヰスキーの発売は1940年です。
一方、リタは夫の夢を支えるだけでなく、故郷を離れて日本で人生を築いた人物でした。二人の歩みには、国際結婚の物語と、日本のウイスキー産業が発展する過程が重なっています。
作品を楽しむなら、ドラマならではの人物描写や夫婦の葛藤に注目し、史実を調べるなら人物の名前、生没年、留学や会社設立、商品発売の時期を基準に整理するのがおすすめです。特に、摂津酒造から寿屋、そしてニッカウヰスキーへと続く政孝の経歴を理解すると、物語の背景がより鮮明になります。
『マッサン』の魅力は、夢を追う主人公の成功だけではありません。長い時間をかけて技術を事業へ変えた政孝と、異国で自らの人生を切り開いたリタ。その二人の実話を知ることで、ドラマに描かれたウイスキー造りと夫婦の物語を、より深く味わうことができます。 (出典: 朝ドラ マッサン の モデル(Yahoo!ニュース))