選手村とは?役割・施設の仕組みから東京2020晴海の跡地活用、1964年大会の現在まで徹底解説
オリンピックのニュースで耳にする「選手村」とは、選手やチーム役員などが大会期間中に宿泊し、食事や休養、コンディショニングを行うための拠点です。単なる宿泊施設ではなく、世界各国・地域の選手団が集まり、競技に向けて心身を整えるための重要な大会施設でもあります。
2026年現在、東京2020大会の選手村があった東京都中央区晴海では、住宅棟の再整備や商業施設の整備が進み、大会のための施設から人々が暮らす街へと姿を変えています。一方、1964年の東京オリンピック選手村の跡地の一部は、代々木公園や国立オリンピック記念青少年総合センターなどに受け継がれています。選手村の意味や役割、施設の実態、歴史、そして大会後の活用まで詳しく解説します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:選手村とは、選手やチーム役員などが宿泊し、食事・休養・医療サポートを受けながら競技に備える施設です。
- 要点2:東京2020大会では中央区晴海の約44ヘクタールのエリアが選手村として利用され、オリンピック時には約1万8,000床が確保されました。
- 要点3:大会後の晴海では住宅や商業施設を備えた街づくりが進み、1964年大会の跡地も公園や青少年教育施設として活用されています。
【選手村とは?】意味・役割とオリンピック村との違い
選手村とは、オリンピックやパラリンピックの開催期間中、選手やチーム役員などが滞在するために整備される宿泊・生活施設です。英語では「Olympic Village」と呼ばれ、日本語では「オリンピック村」と表現されることもあります。
「選手村」と「オリンピック村」は、一般的には同じ施設を指す言葉です。名称が異なるからといって、別々の施設や異なる機能を持つ場所を意味するわけではありません。なお、選手村という呼び方は、オリンピック以外の国際総合スポーツ大会でも使われます。
選手村が設置される理由は、世界各国・地域から集まる選手団の生活環境をまとめて整え、競技に集中できる環境を確保するためです。宿泊先が市内のホテルなどに分散すると、食事の管理や移動、セキュリティー、医療支援などを一体的に運用することが難しくなります。
選手村では、宿泊施設に加え、食事を提供するダイニング、トレーニング設備、医療施設、休憩スペースなどを組み合わせます。選手が試合前に必要な休養を取り、競技後には回復に努められるよう、生活に関わる機能を集約しているのです。
また、国や地域によって食文化、宗教上の習慣、栄養管理の条件は異なります。多様な食事への対応や、身体的な条件に配慮した設備も、選手村の運営に欠かせない要素です。
つまり、選手村は「選手が寝泊まりする場所」というだけではありません。大会の運営を支えるインフラであり、選手のコンディションと安全を守る生活拠点でもあります。

【仕組みと施設を解説】選手村での生活・宿泊環境はどうなっている?
選手村の施設構成は大会ごとに異なりますが、基本となるのは居住棟、食事施設、医療施設、トレーニング・フィットネス施設、交流スペースなどです。選手団が安全かつ効率的に生活できるよう、宿泊から競技への移動までを見据えて配置されます。
とりわけ重要なのが食事です。トップアスリートにとって、エネルギーや栄養素の摂取は競技パフォーマンスや回復に関わります。大会中は競技の開始時刻が選手ごとに異なるため、食事を取れる時間帯にも柔軟性が求められます。
東京2020大会の選手村では、メインダイニングホールが24時間営業の計画で運営され、世界各地の料理を含む約700種類のメニューが用意されました。東京都などの大会関連資料では、1日最大約4万5,000食の提供能力が想定されていたことも紹介されています。
食事施設では、栄養面だけでなく、宗教や食習慣の違いへの配慮も必要です。東京2020大会では、メインダイニングのほか、日本食や地域の食材を活用した料理を提供するカジュアルダイニングなども設けられました。
医療面では、けがや体調不良への対応、診察、競技に向けた健康管理などを支える施設が整備されます。東京2020大会では総合診療所が設けられ、新型コロナウイルス感染症への対応も運営上の重要な課題となりました。
さらに、トレーニングやフィットネスの設備、休憩スペース、洗濯などの日常生活を支える機能も、選手村での生活を成り立たせる要素です。大会によってはインターネット環境や交流スペースなどが充実し、宿泊以外のサービスも提供されます。
ただし、選手村の設備は、すべての大会で同じとは限りません。競技数、参加人数、開催都市の既存施設、予算、敷地条件などによって必要な規模や設備は変わります。インターネットカフェや娯楽施設などが設けられることもありますが、すべての選手村に必ず存在するわけではありません。
【東京2020オリンピック選手村】晴海の約44ヘクタールに何があった?
東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会の選手村は、東京都中央区晴海四丁目・五丁目周辺に整備されました。東京都の大会関連資料などでは、選手村のエリアは約44ヘクタールとされ、東京ドーム約9個分に相当する規模として紹介されています。
海に囲まれたウォーターフロントに位置し、選手の宿泊施設となる住宅棟を中心に、大会期間中に必要なさまざまな施設が設けられました。東京都都市整備局の公表資料によると、宿泊に使用された板状の住宅棟は21棟です。
大会時のベッド数は、オリンピック期間中に約1万8,000床、パラリンピック期間中に約8,000床が確保されました。競技に参加する選手団の規模や大会日程に合わせ、宿泊環境を整えたのです。
主な施設には、住宅棟のほか、メインダイニングホール、スポーツジム、総合診療所、オフィシャルストアなどがありました。大会用に必要となる施設の一部は仮設で整備され、競技運営を支えました。
ここで注意したいのが、「約44ヘクタール」と「約18ヘクタール」という数字の違いです。約44ヘクタールは大会時の選手村エリアの規模として紹介される数字です。一方、東京都が公表する晴海五丁目西地区の市街地再開発事業の施行地区面積は約18ヘクタールです。対象となる区域が異なるため、同じ面積を示しているわけではありません。
東京2020大会は当初の2020年から延期され、実際の開催は2021年となりました。選手村は同年7月から9月にかけて大会施設として一時使用され、その後、住宅棟の改修や街づくりへと移行しました。
大会のために建物を整備するだけでなく、終了後の住宅利用まで視野に入れていたことが、晴海の選手村の大きな特徴です。大会期間中の機能と、その後の都市生活を両立させる設計が求められました。

【歴代選手村を比較】1964年東京大会から2026年の晴海まで
選手村の歴史を振り返ると、大会期間中の宿泊機能だけでなく、終了後に地域へ何を残すかという課題が見えてきます。1964年東京大会と東京2020大会では、立地も施設の規模も異なりますが、いずれも大会後の土地利用が重要なテーマとなりました。
| 比較項目 | 1964年東京オリンピック | 東京2020大会 | 2026年時点の状況 |
|---|---|---|---|
| 主な所在地 | 代々木のワシントンハイツ跡地 | 東京都中央区晴海 | 晴海の住宅・商業街区、代々木公園など |
| 敷地規模 | 約66万平方メートル | 大会時の選手村エリアは約44ヘクタール | 晴海五丁目西地区の再開発区域は約18ヘクタール |
| 宿泊規模 | 約5,900人を収容する施設として紹介 | オリンピック時約18,000床、パラリンピック時約8,000床 | 住宅としての利用へ転換 |
| 主な施設・構成 | 選手用の宿泊施設 | 住宅棟21棟、ダイニング、診療所、ジムなど | 晴海では住宅棟21棟とタワー棟2棟、商業棟を整備 |
| 大会後の活用 | 代々木公園や青少年教育施設などへ | 住宅棟を改修し、分譲・賃貸住宅などへ転換 | 晴海では住宅街区として整備が進み、2024年にまちびらき |
1964年大会の選手村は、戦後に米軍住宅地として使われたワシントンハイツの跡地に整備されました。日本オリンピック委員会(JOC)の大会資料では、敷地総面積は約66万平方メートル、収容規模は約5,900人とされています。
当時の選手村の跡地は、その後、現在の代々木公園や国立オリンピック記念青少年総合センターなどにつながる土地利用へと変わりました。ただし、跡地全体が一つの施設に置き換わったわけではなく、用途ごとに整備された点が重要です。
一方、東京2020大会の晴海では、住宅棟を大会後も利用する計画が当初から組み込まれました。選手村を大会専用の仮設宿舎として一から建て、終了後にすべて解体する方式ではなく、恒久住宅となる建物を大会期間中に一時使用する仕組みです。
この違いは、時代ごとの都市計画や土地の条件、施設整備の考え方を反映しています。1964年大会では公園や研修施設など公共的な用途への転換が特徴的だったのに対し、東京2020大会では住宅供給と新たな街づくりが大きな柱となりました。
【大会後の活用と2026年最新】選手村跡地はどう変わった?
2026年現在、東京2020大会の選手村跡地を考えるうえで中心となるのが、中央区晴海五丁目の再開発地区です。大会時に宿泊施設として使われた住宅棟は、改修を経て一般の住宅として利用する計画に沿って整備されました。
東京都都市整備局が2026年8月7日に更新した市街地再開発事業の資料によると、晴海五丁目西地区では板状の住宅棟21棟、超高層タワー棟2棟、商業棟1棟が整備され、住宅戸数は合計5,632戸です。内訳は分譲住宅4,145戸、賃貸住宅1,487戸となっています。
この事業では、大会期間中に選手の宿泊施設として一時使用した住宅棟を改修するだけでなく、大会後にタワー棟を建設する計画も進められました。板状住宅棟と商業棟の建築工事は2023年11月に完了し、2024年5月にはまちびらきが行われています。タワー棟の建築工事も2025年8月に完了し、事業は2025年度末の完了を予定していました。
この街区は、一般に「HARUMI FLAG」として知られる住宅開発と結びついています。選手村として使われた建物が、そのまま大会施設として残っているわけではありません。居住環境に合わせた改修や設備の整備を経て、分譲・賃貸住宅を中心とする街へと転換されているのです。
大会後の活用で注目したいのは、住宅棟だけではありません。東京都の計画では、商業施設や道路などの都市基盤、緑のあるオープンスペースなどを含めて街区を整備し、多様な人々が暮らせる環境を目指してきました。選手村の跡地利用は、建物の再利用と新たな生活環境の整備を一体的に進める事業です。
一方、1964年東京オリンピックの選手村跡地の一部は、現在の国立オリンピック記念青少年総合センターとして活用されています。同センターの公式沿革によると、選手村跡地の一部を青少年教育などに利用することが1965年3月に決まり、同年4月に施設が発足しました。1980年5月には国立オリンピック記念青少年総合センターとなっています。
同センターは、研修室、ホール、体育館、プール、テニスコート、宿泊施設などを備え、青少年の研修や文化・芸術、スポーツ、国際交流などに利用されています。かつて世界の選手が集まった場所が、次の世代の学びや交流を支える施設として受け継がれているのです。

【環境配慮型設計の実態】選手村は持続可能な街づくりにつながるのか
東京2020大会の選手村では、大会時の利便性だけでなく、建物や設備を大会後にどう活用するかという視点も重視されました。東京都の持続可能性に関する資料では、恒久住宅となる建物の躯体を宿泊施設として活用し、大会に必要な内装工事を加える方法や、仮設設備の再利用・資源の有効活用が紹介されています。
具体例の一つが、宿泊室の間仕切りに用いられた段ボール製の建具です。東京都の大会関連資料では、扉など約1万か所にリサイクル資材を用いる計画が示されました。大会専用の設備を大量に新設して廃棄するのではなく、資材の使用方法や大会後の扱いを考える取り組みです。
エネルギー面では、水素を活用した設備も導入されました。東京都の「東京2020大会のレガシー」に関する資料によると、選手村のリラクゼーションハウスや居住棟の一部で水素が活用され、大会後の晴海地区では、パイプラインを通じた街区への水素供給などが2024年3月29日に始まりました。
また、東京都が示した街づくりの計画には、緑化、省エネルギー設備の導入、雨水の再利用などが盛り込まれています。建物の環境性能だけでなく、街区全体のエネルギー利用や緑地の確保を含めて、長期的に暮らせる環境を整えることが狙いです。
ただし、環境配慮型の設備を導入したことだけで、街づくり全体が持続可能だと判断できるわけではありません。設備が実際にどれだけ利用されているか、維持管理の負担がどの程度か、住民の移動や日常生活に適した環境が整っているかなども、長期的に評価すべき点です。
選手村の評価では、少なくとも次の3点を分けて考える必要があります。
- 大会運営:選手が安全に宿泊し、食事・医療・移動の支援を受けられたか。
- 建物の再利用:大会後に住宅や公共施設などとして活用できる設計になっているか。
- 地域への効果:交通、商業施設、緑地、エネルギー設備などが地域の暮らしに適合しているか。
こうした基準で見ると、選手村の価値は大会期間中の設備の豪華さだけでは決まりません。大会後に建物がどのように使われ、地域の暮らしや公共的な活動にどのような役割を果たしているかまで含めて評価することが大切です。
【選手村とは】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:選手村とは、具体的にどのような場所ですか?
A1:オリンピックなどの大会期間中、選手やチーム役員などが宿泊し、食事、休養、医療サポートなどを受けながら競技に備えるための施設です。居住棟のほか、ダイニング、トレーニング施設、診療所などが整備されることがあります。
Q2:東京2020大会の選手村は現在どうなっていますか?
A2:東京都中央区晴海の選手村跡地では、宿泊施設として一時使用された住宅棟の改修やタワー棟の建設などが進み、住宅や商業施設を備えた街区へと転換されました。東京都都市整備局の資料では、晴海五丁目西地区の住宅戸数は合計5,632戸とされています。
Q3:1964年東京オリンピックの選手村は現在も残っていますか?
A3:当時の選手村がそのまま残っているわけではありません。跡地の一部は代々木公園などに整備され、別の一部は国立オリンピック記念青少年総合センターとして活用されています。同センターは現在も研修やスポーツ、文化活動、宿泊などに利用されています。
まとめ:【プロの結論】選手村の価値は大会後の活用まで見て判断する
選手村とは、選手や役員などが宿泊し、食事や医療、休養の支援を受けながら競技に集中するための施設です。オリンピック村とも呼ばれ、大会運営を支える重要な生活拠点として整備されます。
東京2020大会では、中央区晴海の約44ヘクタールのエリアが選手村として利用され、住宅棟21棟を中心に食事や医療などの機能が集約されました。大会後には住宅棟の改修やタワー棟の建設が進み、2026年現在は住宅・商業施設を備えた街づくりへと移行しています。
1964年東京大会の選手村跡地も、代々木公園や国立オリンピック記念青少年総合センターなどとして活用されてきました。大会のために整備された場所が、公園や教育・交流施設、住宅街区へと姿を変えている点は、選手村の歴史を理解するうえで欠かせません。
【プロの結論】選手村を理解するうえで重要なのは、大会中の機能と大会後のレガシーを分けて見ることです。宿泊施設としての規模や設備だけでなく、建物の再利用、環境への配慮、地域の暮らしへの貢献まで確認することで、その選手村が都市に何を残したのかが見えてきます。東京2020大会の晴海と1964年大会の代々木を比較することは、スポーツの祭典が都市の将来に与える影響を考える手がかりにもなります。 (出典: 選手 村 と は(Yahoo!ニュース))