琴櫻傑將とは何者?第53代横綱の生涯と孫・琴櫻将傑の違いを2026年版で徹底解説
「琴櫻傑將」と「琴櫻将傑」は、同じ読み方をする別人です。前者は昭和の大相撲を代表する第53代横綱・琴櫻傑將(ことざくら まさかつ)、後者は2026年現在も佐渡ヶ嶽部屋で活躍する大関・琴櫻将傑(ことざくら まさかつ)。2人は単に四股名が似ているのではなく、祖父と孫という深い血縁関係で結ばれています。
元横綱は、1972年の「無気力相撲」騒動で厳しい批判を受けながらも、翌年初場所の優勝を経て横綱に昇進しました。一方、孫は2024年に大関へ昇進し、祖父の四股名を受け継いでいます。日本相撲協会の公式プロフィール、佐渡ヶ嶽部屋の紹介資料、松戸市の応援ページなどを手がかりに、本名、現役時代の成績、騒動の経緯、家系図、四股名継承の意味まで整理します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:琴櫻傑將は1940年生まれの元横綱で、本名は鎌谷紀雄。2007年8月14日に亡くなりました。
- 要点2:1972年3月場所の「無気力相撲」騒動では、琴櫻と前の山の取組が問題視され、両者の師匠が注意を受けました。
- 要点3:孫の琴櫻将傑は本名・鎌谷将且。2024年5月に祖父の四股名を継承し、2026年9月場所終了時点でも大関です。
【まず結論】琴櫻傑將と琴櫻将傑の違いは?本名・読み方・番付を比較
最初に押さえたいのは、2人とも「ことざくら まさかつ」と読む一方、漢字表記、生きた時代、番付、本人の経歴が異なることです。検索で「琴櫻傑將」と入力すると、現役の琴櫻将傑に関する情報も表示されるため、プロフィールを見分ける必要があります。
| 比較項目 | 琴櫻傑將(元横綱) | 琴櫻将傑(現役) |
|---|---|---|
| 読み方 | ことざくら まさかつ | ことざくら まさかつ |
| 本名 | 鎌谷紀雄(かまたに のりお) | 鎌谷将且(かまたに まさかつ) |
| 生年月日 | 1940年11月26日 | 1997年11月19日 |
| 出身地 | 鳥取県倉吉市 | 千葉県松戸市 |
| 番付・最高位 | 第53代横綱 | 大関 |
| 所属部屋 | 佐渡ヶ嶽部屋 | 佐渡ヶ嶽部屋 |
| 主な実績 | 幕内優勝5回 | 幕内優勝1回(2026年9月場所終了時点) |
| 2人の関係 | 現役力士の母方の祖父 | 元横綱の孫 |
この比較で注目したいのは、四股名の漢字の違いです。元横綱の「傑將」は「將」が旧字体で、孫の「将傑」は「将」を用い、さらに「傑」と「将」の順序も異なります。読み方は同じですが、正式な四股名はそれぞれ別の表記です。
また、元横綱は第53代横綱であり、現役の琴櫻将傑は2026年9月場所終了時点で大関です。孫が祖父と同じ横綱に昇進したわけではありません。日本相撲協会の公式プロフィールでも、両者は別々の力士として記録されています。

【生涯と成績】琴櫻傑將はどんな横綱だった?遅咲きの出世と引退まで
琴櫻傑將は1940年11月26日、現在の鳥取県倉吉市にあたる鳥取県東伯郡倉吉町に生まれました。本名は鎌谷紀雄。1959年1月場所で初土俵を踏み、1962年7月場所に新十両、1963年3月場所に新入幕を果たします。
1967年11月場所には大関へ昇進しました。しかし、そこから横綱になるまでには長い時間がかかりました。大関として土俵を務め続けた後、1972年後半から優勝を重ね、32歳を過ぎて第53代横綱に昇進します。早くから横綱候補と目された力士がそのまま頂点へ進むのとは違い、苦境からの巻き返しを経て最高位にたどり着いた力士でした。
日本相撲協会の歴代横綱プロフィールによると、琴櫻の横綱在位は1973年3月場所から1974年5月場所まで。現役時代の幕内優勝は通算5回で、生涯戦歴は723勝428敗77休、93場所に及びます。幕内戦歴だけでも553勝345敗77休という記録を残しました。
横綱としての在位期間は長くありませんでしたが、引退後には佐渡ヶ嶽部屋の師匠として後進を育てました。2005年11月25日に定年退職を迎え、同年11月場所で引退した元関脇・琴ノ若に年寄名跡「佐渡ヶ嶽」を譲ります。2007年8月14日、66歳で亡くなりました。
琴櫻の歩みを理解するうえで重要なのは、横綱昇進だけを切り取らないことです。大関時代の長い停滞、1972年の騒動、そこからの優勝、そして指導者としての実績までが、一人の力士の生涯を形作っています。
【無気力相撲の真相】1972年3月場所、前の山との一番で何が起きたのか
琴櫻の経歴を語る際、避けて通れないのが1972年3月場所12日目の大関・前の山との取組です。相撲競技監察委員会が「無気力相撲」と判断し、両者の師匠に注意を与えた、当時として大きな波紋を呼んだ一番でした。
問題となったのは、前の山の張り手を受けた琴櫻が十分な抵抗を見せないまま倒れたように映ったことです。前日の取組では、琴櫻は貴ノ花に二本を差されながらも櫓投げで勝利していました。その相撲内容との落差が、翌日の一番に対する疑念を強める材料になりました。
当時、前の山は大関の地位を守るために負け越しを避けたい状況にありました。前の山はこの場所の途中で休場し、最終的に大関から陥落します。一方、琴櫻は出場を続け、14日目には優勝争いの先頭にいた平幕の魁傑を強烈なぶちかましで破りました。この白星は、優勝を争っていた弟弟子の長谷川を後押しする一番にもなりました。
ただし、この経緯を「八百長が証明された事件」と断定するのは正確ではありません。相撲競技監察委員会が両者の取組を問題視し、師匠に注意を与えたことと、故意の取引が立証されたことは別です。記録上の中心は、無気力相撲と判断された取組に対する注意という措置でした。
騒動の影響は大きく、琴櫻は翌5月場所で1勝した後に休場し、引退の噂まで出るようになります。横綱を目指していた大関にとって、成績面だけでなく、土俵上の信用という点でも厳しい局面でした。
その後、相撲評論家の神風正一との対談で励まされたことや、家族への思いをきっかけに気持ちを立て直したと伝えられています。1972年11月場所で14勝1敗の成績を挙げ、3度目の幕内優勝を達成。翌1973年1月場所でも14勝1敗で優勝し、騒動からの復活を印象づけました。
この事件から読み取れるのは、相撲の評価が勝敗だけでは完結しないという点です。力士の取組内容が過去の相撲と大きく違えば、観客や関係者の疑念を招くことがあります。一方、疑念や注意の存在を、そのまま故意の不正が証明されたことと同一視することもできません。記録に残る措置と、後世の解釈は分けて理解する必要があります。

【1973年初場所で優勝】琴櫻はなぜ横綱に昇進できたのか
1973年1月場所は、琴櫻の競技人生における大きな転換点です。前年11月場所の14勝1敗に続き、初場所でも14勝1敗で連続優勝を達成。大関として長く足踏みしていた力士が、ついに横綱昇進を実現しました。
横綱昇進の背景には、優勝という結果だけでなく、長い大関生活の末に培った実力と、苦境を乗り越えた後の安定感がありました。1972年3月場所の騒動や5月場所の休場によって、琴櫻の先行きは一時不透明になりました。それでも同年11月場所から連続して優勝を重ね、土俵上の成績によって再び評価を高めたのです。
琴櫻の相撲は、力強い立ち合いと圧力を生かした攻めで知られました。体格を生かして相手を押し込み、主導権を握る相撲は、円熟期に入っても強さを発揮しました。横綱昇進後の1973年7月場所にも優勝し、幕内優勝は通算5回に達しています。
もっとも、横綱昇進後の在位は1974年5月場所までで、同年7月場所に引退しました。長期在位の横綱ではありませんが、遅咲きの大関が優勝を重ねて頂点に到達した経歴は、琴櫻を特徴づける重要な要素です。
「無気力相撲騒動で評価を落とした力士」という一面だけでは、琴櫻の全体像はつかめません。1972年の危機と1973年の連続優勝を並べて見ることで、批判を受けた後に結果を残し、横綱へ昇進した過程が見えてきます。
【家系図と四股名継承】琴櫻・琴ノ若・琴櫻将傑はどうつながる?
琴櫻傑將と現役の琴櫻将傑を結びつけるのは、佐渡ヶ嶽部屋の師弟関係だけではありません。2人は母方の祖父と孫にあたります。孫の父は、現役時代に関脇まで昇進した初代琴ノ若で、現在は佐渡ヶ嶽部屋の師匠を務めています。
琴櫻傑將は1996年、娘と結婚した琴ノ若を養子として迎え入れました。この家族関係を背景に、琴櫻の四股名は次の世代へと受け継がれることになります。現役の琴櫻将傑は1997年11月19日生まれで、幼い頃から祖父の稽古を見て育った力士です。
四股名の継承には、段階があります。孫は2015年11月場所で「琴鎌谷」の名で初土俵を踏み、2019年7月場所に新十両へ昇進した際に「琴ノ若」を襲名しました。2024年3月場所に大関へ昇進すると、同年5月場所から「琴櫻」へ改名しています。
祖父が生前、孫の将且が大関に昇進した後であれば「琴櫻」を継がせてもよいと、初代琴ノ若に伝えていたことも、継承の経緯として伝えられています。実際に孫が大関昇進を果たしてから改名したことは、この約束と重なる出来事でした。
この継承は、単に有名な四股名を再利用したという話ではありません。横綱だった祖父、関脇だった父、そして大関となった孫という三代の力士が、佐渡ヶ嶽部屋と家族のつながりの中で相撲を続けてきた歴史があります。松戸市の紹介資料でも、琴櫻将傑は母方の祖父が元横綱琴櫻、父が元関脇琴ノ若という相撲一家の出身として紹介されています。
ただし、四股名を継承したこと自体が、祖父と同じ番付や実績を意味するわけではありません。現役の琴櫻将傑は、祖父の名を背負いながら、自身の取組と成績で評価を積み上げている段階です。

【佐渡ヶ嶽部屋の歴代師匠】琴櫻が築いた育成力と2026年現在の孫
琴櫻傑將のもう一つの大きな功績は、引退後の指導者としての実績です。佐渡ヶ嶽部屋は、初代琴錦が1955年に二所ノ関部屋から独立して創設した系譜を持ち、その後、元横綱琴櫻、元関脇琴ノ若へと師匠が受け継がれてきました。
琴櫻が師匠を務めた時代には、多くの関取が育ちました。琴風豪規をはじめ、琴ヶ梅、琴富士、琴錦、琴ノ若など、幕内や三役で活躍した力士を輩出。琴櫻が指導した期間には、関取が合計22人に達し、幕内優勝力士も琴風、琴富士、琴錦、琴光喜の4人を数えたとされています。
1990年代初頭には幕内力士を7人擁し、「七琴」「佐渡ヶ嶽軍団」と呼ばれるほどの勢力を築きました。単独の横綱を育てただけでなく、複数の有力力士を同時に育成できる部屋の基盤を整えた点に、師匠としての功績があります。
2005年11月の定年退職に際しては、元関脇琴ノ若に佐渡ヶ嶽の名跡と部屋を引き継ぎました。琴櫻の退職直後には琴欧洲が大関昇進を決め、昇進伝達式には日本相撲協会の計らいで琴櫻夫妻も同席しました。部屋を離れる時期まで、弟子の成長を見届けたことがうかがえます。
2026年現在、佐渡ヶ嶽部屋を率いるのは元関脇琴ノ若の佐渡ヶ嶽親方です。日本相撲協会の2026年9月場所終了時点の公式プロフィールでは、琴櫻将傑は大関で、同場所は9勝6敗。2026年3月場所は10勝5敗、7月場所は8勝7敗、5月場所は3勝9敗3休という成績でした。
この数字から分かるのは、孫が祖父の名を受け継いだ後も、毎場所の成績によって評価され続けているということです。2024年11月場所には14勝1敗で幕内最高優勝を果たしましたが、2026年も成績には波があります。横綱を目指すうえでは、優勝争いに加わる力だけでなく、安定して高い勝ち星を重ねることが問われます。
【プロの結論】琴櫻傑將を調べるときに押さえたい3つの判断基準
琴櫻傑將について調べる際には、まず「人物の区別」「出来事の経緯」「記録と評価」の3点を分けて見ることが大切です。四股名が似ているために、元横綱の戦歴と現役力士の成績が混同されやすいものの、両者は生年月日も本名も番付も異なります。
第一に、元横綱のプロフィールを確認するなら、本名が鎌谷紀雄であること、第53代横綱であること、幕内優勝が5回であることを基準にすると整理しやすくなります。現役の琴櫻将傑については、本名が鎌谷将且で、2024年に大関へ昇進し、同年5月場所から「琴櫻」を名乗ったという経歴が手がかりになります。
第二に、1972年の騒動は、監察委員会による注意と、故意の不正が立証されたという主張を区別して捉える必要があります。問題となった取組の内容、前日の貴ノ花戦との落差、前の山の休場と大関陥落、琴櫻のその後の優勝を時系列で追うと、騒動の背景と影響を理解できます。
第三に、四股名の継承と競技成績を切り分けて考えることです。祖父の名を受け継いだことは家系の歴史を象徴しますが、現役力士の実力は、その時々の取組や番付、優勝歴によって判断されます。祖父の実績を孫の実績として数えたり、孫がすでに横綱であるかのように扱ったりするのは誤りです。
琴櫻傑將の物語は、遅咲きの横綱が挫折を経て頂点に立った歴史であると同時に、相撲部屋を通じて技術と伝統が次の世代へ伝わる歴史でもあります。元横綱の記録と現役の琴櫻将傑の挑戦を分けて理解することで、四股名に込められた意味がより明確になります。
【琴櫻傑將】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:琴櫻傑將の読み方と本名は?
A1:読み方は「ことざくら まさかつ」です。本名は鎌谷紀雄(かまたに のりお)で、第53代横綱として知られています。
Q2:琴櫻傑將と現役の琴櫻将傑は同一人物ですか?
A2:別人です。琴櫻傑將は1940年生まれの元横綱で、2007年に亡くなりました。琴櫻将傑は1997年生まれの現役大関で、本名は鎌谷将且です。2人は祖父と孫の関係にあたります。
Q3:1972年の無気力相撲騒動は、八百長が確定した事件ですか?
A3:1972年3月場所12日目の琴櫻と前の山の取組について、相撲競技監察委員会が無気力相撲と判断し、両者の師匠に注意を与えました。ただし、この措置だけをもって、故意の取引が立証されたと断定することはできません。
Q4:琴櫻将傑はいつ祖父の四股名を継承しましたか?
A4:2024年5月場所からです。同年3月場所に大関へ昇進し、その後「琴櫻」を襲名しました。初土俵は2015年11月場所で、当初は琴鎌谷、その後は琴ノ若の四股名で土俵に上がっていました。
Q5:琴櫻傑將の現役時代の成績は?
A5:日本相撲協会の歴代横綱プロフィールによると、生涯戦歴は723勝428敗77休、幕内優勝は5回です。横綱在位は1973年3月場所から1974年5月場所までで、1974年7月場所に引退しました。
まとめ:琴櫻傑將の功績と琴櫻将傑が受け継ぐもの
琴櫻傑將は、長い大関生活と1972年の無気力相撲騒動を経て、1973年に第53代横綱へ昇進した力士です。幕内優勝5回、生涯723勝という実績に加え、佐渡ヶ嶽部屋の師匠として多くの関取を育てた功績も残しました。
一方、孫の琴櫻将傑は、2024年に大関へ昇進し、祖父の四股名を受け継ぎました。2026年9月場所終了時点でも大関として土俵に立ち、次の目標に向かって競技を続けています。祖父と孫は同じ読み方の四股名を持ちながら、それぞれ異なる時代と記録を持つ力士です。
琴櫻という名を正しく理解する鍵は、家系のつながりだけでなく、各人の本名、番付、戦歴、そして四股名を継承した時期を照らし合わせることにあります。元横綱が築いた伝統と、現役大関がこれから積み上げる実績。その両方を見ていくことが、琴櫻という四股名の歴史を知る最も確かな手がかりです。 (出典: 琴 櫻 傑 將(Yahoo!ニュース))