琴ノ若晴將とはどんな力士?2026年現在の経歴・金星8個・部屋継承を徹底解説
琴ノ若晴將(ことのわか・てるまさ)は、山形県尾花沢市出身の元大相撲力士で、最高位は西関脇。曙、貴乃花、若乃花、朝青龍らの横綱から金星を獲得し、三賞7回を受賞した実力者です。2005年11月に現役を引退すると、佐渡ヶ嶽部屋を継承し、13代佐渡ヶ嶽親方として後進の育成に携わってきました。
2026年現在、琴ノ若晴將の名前が改めて注目される理由の一つが、長男・琴櫻将傑の活躍です。息子は父の現役時代の四股名「琴ノ若」を受け継いだ後、母方の祖父である元横綱・琴櫻の名を襲名しました。親子二代に加え、祖父の代から続く佐渡ヶ嶽部屋の歴史を知ると、四股名に込められた意味や部屋継承の背景が見えてきます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 経歴:山形県尾花沢市出身で、本名は鎌谷満也。最高位は西関脇で、通算成績は785勝764敗100休。
- 現役時代:金星8個、三賞7回を記録。右四つ、寄り、上手投げを武器に横綱陣と対戦した。
- 引退後:2005年11月に引退して13代佐渡ヶ嶽親方となり、長男の琴櫻将傑へ四股名と部屋の伝統をつないでいる。
【琴ノ若晴將とはどんな力士だったのか】山形県尾花沢市出身の元関脇
琴ノ若晴將は1968年5月15日生まれ。山形県尾花沢市で生まれ、本名は鎌谷満也(かまたに・みつや)です。旧姓は今野で、佐渡ヶ嶽部屋に所属して1984年5月場所で初土俵を踏みました。
日本相撲協会の公式力士プロフィールによると、身長は191センチ、体重は181キロ。大型の体格を生かした四つ相撲を得意とし、右四つからの寄りや上手投げで相手を攻める取り口が特徴でした。新十両は1990年7月場所、新入幕は同年11月場所です。
幕内で長く活躍した一方、最高位は横綱や大関ではなく、西関脇でした。1999年1月場所と3月場所に西関脇を務めています。通算成績は785勝764敗100休、幕内成績は608勝657敗84休。現役在位は130場所に及びます。
関脇という地位は、横綱・大関に次ぐ三役の一角です。琴ノ若晴將の評価を考える際には、最高位だけでなく、長期間にわたって幕内に在位し、横綱から金星を挙げ、三賞を重ねた実績も合わせて見る必要があります。
また、現在の四股名である「琴ノ若晴將」と、引退後の年寄名である「佐渡ヶ嶽満宗」は区別しておきたいポイントです。現役時代の四股名は琴ノ若晴將、引退後に名乗る年寄名は佐渡ヶ嶽満宗(さどがたけ・みつむね)です。
【経歴を年表で整理】琴の若實哉から琴ノ若晴將への改名の歴史
琴ノ若晴將の経歴をたどると、四股名の表記が段階的に変化していることが分かります。日本相撲協会の公式プロフィールでは「今野→琴今野→琴の若→琴乃若→琴ノ若」という履歴が記載されています。
特に押さえておきたいのが、「琴の若實哉」「琴乃若將勝」「琴ノ若晴將」という表記の変遷です。読み方が似ていても、それぞれ異なる時期に使用された四股名であり、現在の息子・琴櫻将傑の経歴とも混同しないようにする必要があります。
| 時期 | 出来事・四股名 | 主なポイント |
|---|---|---|
| 1968年5月 | 誕生 | 山形県尾花沢市出身。本名は鎌谷満也、旧姓は今野。 |
| 1984年5月場所 | 今野満也として初土俵 | 15歳で大相撲の世界に入る。 |
| 1984年7月〜1988年1月場所 | 琴今野 | 四股名に「琴」の字が付くようになる。 |
| 1988年3月〜1998年7月場所 | 琴の若實哉 | 長期間にわたって「琴の若」の名で土俵に上がる。 |
| 1990年7月・11月場所 | 新十両・新入幕 | 十両、幕内へと昇進する。 |
| 1993年9月場所 | 新小結 | 初めて三役に昇進。 |
| 1998年9月〜1999年5月場所 | 琴乃若將勝 | 表記を改め、1999年1月・3月場所には西関脇を務める。 |
| 1999年7月〜2005年11月場所 | 琴ノ若晴將 | 引退まで使用した四股名。 |
| 2005年11月 | 現役引退・佐渡ヶ嶽部屋継承 | 13代佐渡ヶ嶽親方として部屋を率いる立場へ。 |
出世の過程で注目したいのは、三役昇進後も番付の上下を経験しながら、実績を積み上げて関脇まで到達した点です。1993年9月場所に新小結となった後、1998年11月場所には小結で10勝5敗を記録し、翌1999年1月場所に関脇へ昇進しました。
1996年4月には、当時の師匠である12代佐渡ヶ嶽親方、元横綱・琴櫻の長女と結婚しました。婿入りの形で家族となり、将来は佐渡ヶ嶽部屋を継承することが決まっていたとされています。力士としての出世と、部屋を支える後継者としての立場が並行して形成されていった時期でした。
【金星8個・三賞7回】貴乃花や朝青龍との対戦成績
琴ノ若晴將の現役時代を語るうえで欠かせないのが、金星8個と三賞7回という実績です。金星とは、平幕の力士が本場所の取組で横綱を破った場合に記録される殊勲です。三賞は、幕内力士の活躍を評価して授与される賞で、殊勲賞・敢闘賞・技能賞の3種類があります。
琴ノ若晴將の金星8個の内訳は、曙から1個、貴乃花から3個、若乃花から2個、朝青龍から2個です。横綱陣との対戦では負け越した相手もいましたが、上位陣を倒す力を持っていたことが数字に表れています。
三賞は合計7回で、殊勲賞が2回、敢闘賞が5回です。技能賞の受賞記録はありません。主な受賞場所と活躍を整理すると、次のようになります。
- 1995年7月場所:大関2人を破り、初の敢闘賞を受賞。
- 1996年3月場所:11勝を挙げ、2回目の敢闘賞を受賞。
- 1996年7月場所:曙と貴乃花の両横綱を破るダブル金星を記録し、殊勲賞を受賞。
- 1998年7月場所:11勝を挙げ、3回目の敢闘賞を受賞。
- 1998年9月場所:横綱と大関を破り、2回目の殊勲賞を受賞。
- 2004年3月場所:11勝を挙げ、33場所ぶりに三賞を受賞。
- 2004年9月場所:優勝争いに絡む活躍を見せ、5回目の敢闘賞を受賞。
貴乃花との幕内通算対戦成績は、対戦成績の公開集計では琴ノ若側の5勝34敗(不戦勝1を含む)です。数字だけを見れば大きく負け越していますが、金星は3個を獲得しました。優勢に進めた対戦ばかりではなくても、横綱を倒した一番が確かな実績として残っています。
朝青龍との幕内通算対戦成績は4勝11敗で、琴ノ若晴將は金星を2個獲得しています。2003年3月場所には朝青龍を破って金星を挙げ、同年7月場所にも再び勝利しました。ただし、7月場所の勝利後には右大胸筋を挫傷し、箸を持つことさえ難しいほどの状態になったと伝えられています。
故障からの復帰は簡単ではありませんでした。2003年11月場所には膝を痛め、引退を考えるほど追い込まれたものの、現役を続行。2004年3月場所には11勝を挙げ、同年9月場所にも敢闘賞を獲得しました。終盤のキャリアにも、再起を目指す姿勢が表れています。

【得意技と現役時代の評判】右四つ・寄り・上手投げの相撲
琴ノ若晴將の基本となる取り口は、右四つから相手を組み止め、寄りで前に出る相撲です。日本相撲協会の公式プロフィールにも、得意技として「右四つ・寄り」が記載されています。上手投げも得意技として知られ、組んでからの攻めを軸に白星を重ねました。
右四つとは、互いに組んだときに自分の右手を相手の左下手側に差し入れる形を指します。寄りは相手に密着して前進し、土俵の外へ押し出す、または寄り切る攻め方です。上手投げは、相手のまわしを上手側から取って投げる技。琴ノ若晴將のような大型力士にとって、組み手を確保して体格を生かすことは重要な戦術でした。
191センチ、181キロという体格に加え、横綱経験者を倒す力を持っていたことから、琴ノ若晴將は上位陣にとっても警戒すべき対戦相手でした。1996年7月場所のダブル金星は、その象徴的な実績です。最高位が関脇であっても、横綱を破る一番を繰り返したことが、記録に残る存在感につながっています。
現役時代は、端正な顔立ちでも知られ、女性ファンが多かったと紹介されています。「ワカ」という愛称もあり、趣味はテレビゲームと書道。土俵上の力強い相撲と、親しみやすい人物像の両面が人気を支えていました。
なお、金星の数だけを見て「横綱に常に勝ち越していた」と理解するのは正確ではありません。金星は特定の条件を満たした勝利の数であり、通算対戦成績とは別の指標です。琴ノ若晴將の実力は、横綱戦の勝利数だけでなく、幕内在位90場所、三賞7回、長い現役生活を通じて積み重ねた成績から評価するのが適切です。
【2005年の引退理由】佐渡ヶ嶽親方への継承と部屋の歴史
琴ノ若晴將が現役を引退したのは、2005年11月場所です。共同通信の当時の報道によると、11月25日の九州場所13日目の取組後に引退届と年寄「佐渡ヶ嶽」の襲名願を提出し、同日の日本相撲協会の理事会で承認されました。最後の取組となった駿傑戦に敗れ、この場所の成績は5勝8敗でした。
引退の直接的な背景として大きかったのは、義父である12代佐渡ヶ嶽親方、元横綱・琴櫻が協会の停年を迎え、部屋の継承時期が来ていたことです。現役晩年には大胸筋や膝の故障にも苦しみましたが、引退を単なる故障によるものと説明するのは正確ではありません。師匠から部屋を受け継ぐという役割が、現役生活の終わりと重なったのです。
琴ノ若晴將は引退と同時に年寄・佐渡ヶ嶽を襲名し、13代佐渡ヶ嶽親方となりました。部屋の公式サイトに掲載されている「琴資料館」の歴史によると、佐渡ヶ嶽部屋は11代佐渡ヶ嶽親方の元小結・琴錦が1955年に興し、1974年7月に元横綱・琴櫻が12代を継承。その後、2005年11月に琴ノ若晴將が13代を襲名しています。
つまり、琴ノ若晴將は単に引退後の職を得たのではなく、長年所属してきた部屋の経営と指導を引き継いだ立場です。先代が育ててきた力士たちを引き継ぎながら、琴欧洲、琴光喜、琴奨菊らの大関昇進を支え、佐渡ヶ嶽部屋の実績を次の世代へつなぎました。
2006年5月27日には、両国国技館で引退相撲が行われました。この引退相撲では長男の将且(まさかつ)とともに土俵に上がり、息子が入門した際には「琴ノ若」の四股名を継承させることを約束したとされています。部屋の継承だけでなく、四股名を通じて自身の名を次代に残す道も、この時期から始まっていました。

【長男・琴櫻との関係】四股名継承の経緯と2026年現在
琴ノ若晴將の長男は、現役大関の琴櫻将傑(ことざくら・まさかつ)です。本名は鎌谷将且。父は元関脇の琴ノ若晴將、母方の祖父は第53代横綱・琴櫻傑將で、祖父も12代佐渡ヶ嶽親方として部屋を率いました。父、息子、祖父が幕内で活躍した相撲一家として知られています。
息子は2015年11月場所に「琴鎌谷」の四股名で初土俵を踏みました。2016年5月場所には三段目に昇進し、父が「琴ノ若」を継がせることを考えましたが、本人はまだ名乗る段階ではないとして襲名を辞退したと伝えられています。
その後、2019年5月場所に幕下東2枚目で4勝3敗と勝ち越し、7月場所の新十両昇進が決定。このタイミングで二代目「琴ノ若」を襲名しました。父の現役時代の四股名を受け継ぎ、関取として歩み始めたのです。
次の節目は2024年でした。息子は2024年3月場所に新大関となり、春場所は父から受け継いだ「琴ノ若」の名で土俵に上がりました。そして同年5月場所から、母方の祖父である元横綱・琴櫻の四股名を襲名し、「琴櫻将傑」と改名しました。大関昇進を機に祖父の名を継ぐという約束を果たした形です。
この襲名には、父の名を大関に上げたいという思いと、祖父の名を継ぐという二つの意味がありました。スポニチの2024年4月30日の報道では、息子は春場所を「琴ノ若」で務めた後、夏場所から琴櫻を襲名すると伝えられています。新番付に「琴櫻」の名が記載されるのは、先代が1974年に引退して以来、約50年ぶりのことでした。
名前の表記にも注意が必要です。息子の四股名は「琴桜」ではなく、旧字体の「櫻」を用いた「琴櫻将傑」です。父の「琴ノ若晴將」とは別の力士であり、息子は2019年から2024年春場所まで琴ノ若を名乗り、2024年5月場所から琴櫻となりました。
2026年現在、琴ノ若晴將は13代佐渡ヶ嶽親方として部屋を率い、息子の琴櫻将傑は日本相撲協会の2026年九月場所時点の公式プロフィールで大関に位置しています。父が築いた四股名の系譜と、母方の祖父が残した横綱の名が、現役の土俵で結び付いているのです。
【琴ノ若晴將】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:琴ノ若晴將の本名と出身地は?
A1:本名は鎌谷満也(かまたに・みつや)で、旧姓は今野です。1968年5月15日生まれ、山形県尾花沢市出身です。
Q2:琴ノ若晴將の最高位と主な実績は?
A2:最高位は西関脇で、1999年1月場所と3月場所に務めました。金星8個、三賞7回(殊勲賞2回、敢闘賞5回)を記録し、通算成績は785勝764敗100休です。
Q3:琴ノ若晴將はなぜ引退し、いつ佐渡ヶ嶽部屋を継いだのですか?
A3:2005年11月場所の13日目、11月25日に現役を引退しました。義父の12代佐渡ヶ嶽親方が協会の停年を迎える時期と重なり、年寄・佐渡ヶ嶽を襲名して部屋を継承しました。
Q4:息子の琴櫻将傑は、いつ琴ノ若から琴櫻に改名したのですか?
A4:息子は2019年7月場所の新十両昇進時に「琴ノ若」を襲名しました。2024年3月場所に大関へ昇進し、同年5月場所から母方の祖父である元横綱・琴櫻の名を継いで「琴櫻将傑」となりました。
【プロの結論】まとめ:琴ノ若晴將の功績と2026年以降の見どころ
琴ノ若晴將の経歴を理解するうえで重要なのは、最高位の西関脇という肩書だけで評価を終わらせないことです。金星8個、三賞7回、幕内在位90場所という実績は、上位陣と長く渡り合いながら力士としての存在感を示してきた証しです。特に貴乃花や朝青龍から金星を挙げたことは、琴ノ若晴將の現役時代を象徴する記録として残っています。
もう一つの大きな功績が、2005年の引退後に佐渡ヶ嶽部屋を継承し、指導者として後進を育ててきたことです。父自身が琴ノ若の名を背負い、息子がその名を受け継いだ後、祖父の琴櫻を襲名した経緯には、家族の歴史と部屋の伝統が重なっています。
琴ノ若晴將と息子の琴櫻将傑を調べる際は、四股名、現役時代、最高位、年寄名を分けて整理することが、誤解を避ける判断基準になります。父は元関脇で現在の佐渡ヶ嶽親方、息子は大関の琴櫻将傑です。この区別を押さえると、二人の実績や襲名の意味を正しく理解できます。
2026年以降も注目したいのは、琴ノ若晴將が率いる佐渡ヶ嶽部屋の歩みと、息子の琴櫻が現役力士としてどこまで地位を高めるかという点です。金星を重ねた元関脇の歴史は、親方としての指導と、次世代へ受け継がれた四股名を通じて、今も大相撲の土俵につながっています。 (出典: 琴 ノ 若 晴 將(Yahoo!ニュース))