王貞治のホームラン数は868本!年度別成績と756号の偉業を2026年最新記録で徹底解説
王貞治のホームラン数は、プロ野球の公式戦通算で868本。2026年の日本野球機構(NPB)公式記録でも、歴代通算本塁打ランキングの第1位を維持しています。読売ジャイアンツ一筋で1959年から1980年までプレーし、22年間で積み上げた記録です。
1964年にはシーズン55本塁打を達成し、1977年9月3日には通算756号で当時の世界的な本塁打記録を更新しました。野村克也の657本をはじめとする歴代の強打者と比べても、その数字は際立っています。年度別の本塁打数、通算打率や打点、一本足打法が生んだ変化まで、公式記録をもとに王貞治の記録の全貌を解説します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 通算本塁打:868本。1959〜1980年に読売ジャイアンツで記録したNPB歴代1位の数字です。
- シーズン最多本塁打:1964年に55本を記録。2026年時点ではNPBのシーズン記録で単独1位ではなく、歴代3位タイです。
- 主な偉業:本塁打王15回、三冠王2回、通算打率.301、通算打点2170。一本足打法を武器に、長期間にわたって圧倒的な成績を残しました。
【2026年最新】王貞治のホームラン数は通算868本、NPB歴代1位
王貞治の通算ホームラン数は868本です。日本野球機構(NPB)の歴代通算記録では、2026年度シーズン終了時点でも第1位。1959年にプロ入りし、1980年に現役を引退するまで、読売ジャイアンツで22シーズンにわたって記録を積み上げました。
注目したいのは、868本という本数だけではありません。NPB公式の個人年度別成績によると、王は通算2831試合に出場し、9250打数2786安打、2170打点、打率.301を記録しています。長打率も.634に達しており、単に本塁打を量産しただけでなく、打撃全体の完成度も非常に高い選手でした。
通算本塁打868本を22シーズンで割ると、1シーズン平均は約39.5本です。もちろん、実際の成績には新人時代や引退前のシーズンも含まれます。それでも、長い現役生活を通じてこれほど高い本塁打ペースを維持したことが、王の記録を特別なものにしています。
ここで押さえておきたいのが、868本は日本プロ野球の公式戦における通算記録だという点です。オールスターゲームなどの特別試合や、MLBを含む日米通算記録とは集計の対象が異なります。NPBの歴代記録を調べる場合は、同じ集計基準で比較することが大切です。

【年度別成績一覧】王貞治は1959〜1980年に何本打った?
王貞治の年度別ホームラン数を見ると、プロ入り直後の成績から、一本足打法を確立した1960年代、三冠王に輝いた1970年代、そして引退までの推移がわかります。以下はNPB公式の個人年度別成績をもとにまとめた全22シーズンの記録です。
| 年度 | 本塁打 | 打率 | 打点 |
|---|---|---|---|
| 1959年 | 7本 | .161 | 25 |
| 1960年 | 17本 | .270 | 71 |
| 1961年 | 13本 | .253 | 53 |
| 1962年 | 38本 | .272 | 85 |
| 1963年 | 40本 | .305 | 106 |
| 1964年 | 55本 | .320 | 119 |
| 1965年 | 42本 | .322 | 104 |
| 1966年 | 48本 | .311 | 116 |
| 1967年 | 47本 | .326 | 108 |
| 1968年 | 49本 | .326 | 119 |
| 1969年 | 44本 | .345 | 103 |
| 1970年 | 47本 | .325 | 93 |
| 1971年 | 39本 | .276 | 101 |
| 1972年 | 48本 | .296 | 120 |
| 1973年 | 51本 | .355 | 114 |
| 1974年 | 49本 | .332 | 107 |
| 1975年 | 33本 | .285 | 96 |
| 1976年 | 49本 | .325 | 123 |
| 1977年 | 50本 | .324 | 124 |
| 1978年 | 39本 | .300 | 118 |
| 1979年 | 33本 | .285 | 81 |
| 1980年 | 30本 | .236 | 84 |
| 通算 | 868本 | .301 | 2170 |
出典:日本野球機構(NPB)「王貞治 個人年度別成績」。本塁打、打率、打点は各年度の公式戦記録です。
年度別成績でまず目を引くのは、1962年の38本塁打です。この年から本塁打王のタイトルを獲得し、1974年まで13年連続でリーグ最多本塁打を記録しました。1963年には40本、翌1964年には55本と、短期間で数字を大きく伸ばしています。
1970年代に入ってからも勢いは衰えません。1973年に51本、1976年に49本、1977年に50本を記録。1977年には打点124も挙げています。30代に入ってからも本塁打を量産し、1979年に33本、1980年の現役最終年にも30本を記録しました。
この推移からわかるのは、王の強さが特定の数年間だけの爆発力ではなかったということです。新人時代から打撃を磨き、長期にわたって一流の成績を維持した点に、通算868本という記録の本質があります。
【1964年の55本塁打】王貞治のシーズン記録は現在も歴代トップなのか
1964年、王貞治は140試合に出場し、55本塁打、119打点、打率.320を記録しました。長打率は.720に達し、本塁打だけでなく打撃全体でも圧倒的な数字を残しています。NPBのシーズン最多本塁打記録として長く語り継がれてきた成績です。
ただし、2026年時点では55本が単独のシーズン最多記録というわけではありません。NPB公式のシーズン記録によると、2013年にウラディミール・バレンティンが60本、2022年に村上宗隆が56本を記録しています。王の55本は、2001年のタフィ・ローズ、2002年のアレックス・カブレラと並ぶ歴代3位タイです。
この違いは、王の記録の価値を下げるものではありません。55本塁打を放った1964年の成績は、打率.320、119打点を伴うものでした。単純に本塁打の数だけを見るのではなく、打率や打点も合わせて評価すると、そのシーズンにおける総合的な打撃力が見えてきます。
さらに、王は1964年だけの一発屋ではありません。1963年に40本、1965年に42本、1966年に48本、1967年に47本、1968年に49本と、55本の前後にも高水準の成績を続けています。単年の最高記録と、長期間にわたる安定した量産力。その両方を備えていたことが、王のキャリアを際立たせています。

【756号の歴史】ハンク・アーロンの記録を超えるまでの経緯
王貞治の記録を語るうえで欠かせないのが、1977年9月3日に達成した通算756号本塁打です。後楽園球場でヤクルトの鈴木康二朗投手から放ったこの一発は、当時、メジャーリーグでハンク・アーロンが持っていた通算755本塁打を上回る記録として、大きな注目を集めました。
756号は、王が868本に到達するまでの途中経過でもあります。1977年9月に世界的な記録を更新した後も本塁打を積み重ね、最終的には868本まで伸ばしました。つまり、756号は通算本塁打の最終到達点ではなく、長い現役生活の中で世界記録として注目された歴史的な節目です。
この偉業などを受け、王は1977年に第1回国民栄誉賞を受賞しました。野球殿堂博物館の記録紹介でも、868本の通算本塁打や1964年の55本塁打と並び、756号の達成は王のキャリアを象徴する出来事として知られています。
なお、「世界記録」という表現と「NPB歴代記録」は、区別して理解する必要があります。756号は当時のアーロンの記録を超えた歴史的な到達点ですが、現在のNPB公式記録で王の順位を確認する際の基準は、日本プロ野球の公式戦における通算本塁打数です。その基準で868本が歴代1位となっています。
【一本足打法の秘密】王貞治はなぜホームランを量産できたのか
王の本塁打記録を支えた大きな転機が、打撃コーチの荒川博と取り組んだ一本足打法です。プロ入り直後の1959〜1961年は、本塁打が7本、17本、13本と推移しました。しかし、1962年に一本足打法を実戦で使うようになると、同年に38本塁打を記録。初めて本塁打王のタイトルを獲得しました。
日刊スポーツなどの野球史関連記事では、荒川が王の打撃フォームやバランスの課題に着目し、片足で立つ打法を指導した経緯が紹介されています。一本足打法は、単に足を高く上げる珍しいフォームではありません。投手の動きに合わせてタイミングを取り、体の軸を意識しながらスイングするための技術でした。
この打法を身につけた後、王は1962年から1974年まで13年連続で本塁打王に輝きました。1976年と1977年にもタイトルを獲得し、通算では15回。本塁打王15回という記録は、王の長期的な支配力を示す重要な数字です。
さらに、1973年と1974年には2年連続で三冠王を達成しています。三冠王とは、同一シーズンに首位打者、本塁打王、打点王の3タイトルを獲得することです。王はホームランを打つ力だけでなく、安打を生み出す技術と得点を稼ぐ能力も兼ね備えていました。
一本足打法を王の成功のすべてと考えるのも正確ではありません。打撃フォームの工夫に加え、長期にわたる練習、投手との駆け引き、四球を選ぶ能力などが重なり、記録につながりました。NPB公式記録によれば、王の通算四球は2390。相手投手が本塁打を警戒するほど、打席での存在感も大きくなっていったのです。

【歴代ランキング比較】王貞治と野村克也らの本塁打数はどれほど違う?
王貞治の868本がどれほど突出しているのかを知るには、歴代の通算本塁打ランキングを比較するのがわかりやすい方法です。日本野球機構の歴代通算記録では、2026年度シーズン終了時点で、王が1位、野村克也が2位、門田博光が3位となっています。
- 1位・王貞治:868本
- 2位・野村克也:657本
- 3位・門田博光:567本
- 4位・山本浩二:536本
- 5位・清原和博:525本
- 6位・落合博満:510本
- 7位タイ・張本勲、衣笠祥雄:504本
王と野村の差は211本です。野村も通算3017試合、10472打数で657本を記録した歴史的な強打者ですが、通算本塁打では王が大きく上回っています。3位の門田博光との差は301本に広がります。
出場試合数や打数も比べると、別の特徴が見えてきます。王は2831試合、9250打数で868本。野村は3017試合、10472打数で657本です。単純計算では、王は約10.7打数に1本塁打を放ったのに対し、野村は約15.9打数に1本でした。打数あたりの本塁打頻度でも王が上回っています。
一方、野村は王より長い27シーズンにわたってプレーし、捕手としても長く出場しました。選手の価値を本塁打数だけで決めることはできませんが、通算本塁打という指標に限れば、王の記録がいかに高い水準にあるかがわかります。
王の通算成績をあらためて整理すると、2831試合、2786安打、868本塁打、2170打点、打率.301です。通算本塁打だけでなく、打点や安打、出塁能力でも歴代屈指の数字を残しています。868本という記録は、長打力と長期間の活躍が組み合わさって生まれた結果です。
2026年の記録を読む際には、NPBの通算本塁打とMLBを含む日米通算本塁打を混同しないことも大切です。日本プロ野球の歴代ランキングはNPB公式戦の記録を対象としており、海外リーグの成績を加えた数字とは別の指標です。比較する数字の範囲をそろえることで、王の記録の意味を正しく理解できます。
【王貞治ホームラン数】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:王貞治のホームラン数は何本ですか?
A1:日本プロ野球の公式戦で通算868本です。1959年から1980年まで読売ジャイアンツでプレーし、NPB歴代通算本塁打ランキングで2026年時点も1位を維持しています。
Q2:王貞治のシーズン最多ホームラン数は何本ですか?
A2:1964年の55本です。ただし、2026年時点のNPBシーズン最多記録はバレンティンの60本(2013年)。村上宗隆の56本(2022年)が続き、王の55本は歴代3位タイとなっています。
Q3:王貞治の756号と通算868本は何が違うのですか?
A3:756号は1977年9月3日に達成した通算本塁打の途中経過で、当時のハンク・アーロンの通算755本を超えた歴史的な一発です。その後も現役を続け、引退までに通算868本を記録しました。
Q4:王貞治は本塁打王を何回獲得しましたか?
A4:通算15回です。1962年から1974年まで13年連続で獲得し、1976年と1977年にもタイトルを獲得しました。また、1973年と1974年には2年連続で三冠王に輝いています。
まとめ:王貞治の868本が示すプロ野球史に残る偉業
王貞治のホームラン数は通算868本。2026年のNPB公式記録でも歴代1位です。1959年から1980年までの22シーズンで積み重ねた数字には、1964年の55本塁打、1977年の756号、通算本塁打王15回、三冠王2回という数々の節目が刻まれています。
記録を読み解くうえで大切なのは、通算本塁打だけでなく、年度別の推移や打率、打点、出場試合数も合わせて見ることです。王は通算打率.301、2170打点を記録し、一本足打法を武器に長年にわたって高い打撃力を維持しました。野村克也ら歴代の強打者と比較しても、通算868本の突出ぶりは明らかです。
1964年の55本は現在のシーズン最多記録ではありませんが、通算868本は今なおNPBの歴代最高記録です。単年の爆発力と長期的な安定性を両立させた王貞治のキャリアは、ホームランという数字を通して、日本プロ野球の歴史を理解するための重要な基準であり続けています。 (出典: 王 貞治 ホームラン 数(Yahoo!ニュース))